大阪地震。

2018(平成30年)年6月18日月曜日朝7時58分頃、

日本の大阪府北部を震源とした地震が発生しました。

当日は月曜日(平日)の朝と言う事で

私は既に集配に出ておりました。

12階のお客様の集配を終え、次は36階のお客様のマンションへ移動中でした。

車の異常な揺れにビックリし、ケイタイの警報が鳴り響き、地震かなぁと思い

とりあえず道路脇に停車して様子を見ていました。

通学中の小学生・中学生、通勤途中サラリーマン・OLさん、保育園へ送りの親御さん。

一瞬行動が止まり、子どもさんは少し叫んでいたような感じでした。

まずは家族の安否を確認と思い電話すれども繋がりませんでした。

すると娘から「LINE」(基本私は家族以外とLINEしてません)が家族LINEで連絡が来ました。

すぐに既読3となり嫁、娘の安否確認が出来ました。

便利な時代になりました。

 

23年前も私は集配日でした。

ただ当時は夜明け時間でしたので自宅で起きる時間ぐらいで飛び起きた記憶と

まだ小さかった娘2人の上に覆いかぶさる嫁の姿は今でも忘れません。

自宅のテレビ・ラジオでは状況が分からず、大阪の私のところは見た目の被害が無く

私は集配に出かけました。

ラジオの情報だけでは被害などがよく分からない中、マンションの集配は

エレベータがストップしていて、何も考えず非常階段から20階へ

(当時は私も若かったのと、集配(仕事)をすることしか頭にありませんでした。)

立て続けに3棟、21階、17階、・・さすがに疲れました。

次の15階は無理かもと思っていましたが、当時最新のタワーマンションは

エレベーターが復旧していて助かりました。

お昼にはテレビで阪神高速神戸線の状況が映像で見ることになり

愕然としました。

幼稚園通園の娘たちはバス待合所に幼稚園の先生が自転車で休園の連絡に回られていたそうです。

 

今回もマンションのエレベーターは休止中で、インターホンを押すと

「エレベーター止まっていると思うので次回で良いですよ」と言って頂けました。

但し4,5階のマンションは階段で上がらせて頂きました。

(息が上がる事に年齢を感じました)

 

さて23年経った家族は、

(嫁)当店は8時開店ですので、シャッターを開けた瞬間で

取り敢えず収まるのを待って表に出てご近所さんと安否確認。

(上の娘)既に神戸の職場の最寄り駅に到着しており無事に職場に到着したようです。

(我が家はなるべく早め早めに行動するのが良かった?のかもしれません。)

(下の娘)家を出て放出駅で遭遇したそうです。到着する電車からは乗客がどんどん降りてきて

構内放送では「到着列車には乗れません」と言っていて、即上司に電話して

上司の方は「徒歩で向かう」と言う事を聞き、娘は家に帰って自転車に乗り換え

大阪駅付近の職場まで行ったそうです。

家族は起こった現状を把握して自分で考えて、とりあえず自分が一番出来る事

自分が一番しなければならない事を判断して、行動してるようです。

幸いな事に雨も降らずで少し助かりました。

 

皆さんご存知の通りJRを始め交通機関はマヒしていました。

私の集配は主要幹線道路は全く動かず分かる範囲の脇道で出来る限りのお客様宅へ行かせて頂きました。

娘たちは仕事が終わるのが遅めなので、復旧するかと思いましたが

先に帰宅予定の下の娘は「自転車が有るので乗って帰る」と連絡があったので

「車で迎えに行って自転車載せて帰ったげるよ」

と言う事で職場までお迎えに。

帰宅後すぐに上の娘から「帰るコール」

上の娘は梅田駅まで復旧していたのですが、JRはまだまだでした。

「梅田駅まで迎えに行くよ」

今日は2往復です。

我が家はお陰様でなんとか無事でホットしてます。

 

今回は私の記憶になると思い、ブログにしました。

よろしくお願い致します。


 

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